松本奎堂顕彰碑建立

松本奎堂(まつもとけいどう)
幕末の志士
1832年1月9日 三河国刈谷に生まれる。
江戸の昌平坂学問所で学び俊才として知られた。強い尊王の志を持ち、脱藩して私塾を開き、尊攘派志士と交わる。孝明天皇の大和行幸の先駆けたるべき天誅組を結成して大和の国で挙兵。吉村寅太郎・藤本鉄石とともに三総裁の一人になる。だが、八月十八日の政変で大和行幸は中止となり、孤立した天誅組は幕府軍の攻撃を受け敗退し、松本も戦死した。

ここ霊明神社西墓地は、松本奎堂率いる天誅組の奥津城があったほぼ真下に位置します。
(そのご縁で、墓所の一角を霊明神社様がご提供されます。)

今回、松本家の御子孫の想いと、霊明神社様をはじめ沢山の方々の賛同の元、顕彰碑の建立が実現する運びとなり、今年の9月25日(日)に除幕式を執り行う予定です。

顕彰碑に使われる石碑は、奈良県の五條市の「維新の魁・天誅組」保存伝承顕彰推進協議会の幹事長である内倉氏よりご提供されています。

私たちも、この松本奎堂顕彰碑建立に携われる事に感謝し、工事を進めております。

最終の整備です。


 

松本奎堂顕彰碑の裏面には、辞世の句が刻まれています。


整備も徐々にではありますが、進んできました。



完成を間近に控え、最終の調えに入ってきました。